東南アジアを旅行した

8月13日~8月14日 東京、バンコク

22時にバイトを終え、居酒屋に行った。バイト先の同僚と4人で飲むはずだったが、Bさんが夏風邪で来られなくなり、WさんとMさんの3人で飲んだ。コンビニあるあるで盛り上がった。それから僕の部屋で二次会を開いた。2人がソシャゲをしている間に旅の準備をした。午前3時に寝たが、Wさんが早朝からバイトなので午前5時に起きた。2人を見送った後、冷凍庫と冷蔵庫の中の物を捨て、ゴミ出しをし、シャワーを浴び、ブレーカーを落とし、再び寝た。午前11時に起き、大家さんに部屋の鍵を預け、バイト先で発注の業務をし、調布駅から成田空港に向かった。

勝手に第3ターミナルだと思っていたら、第1ターミナルだったので無料の循環バスで第1ターミナルに戻った。2万円分を米ドルに両替した。前回、北欧へ旅行に行く前にだいぶ時間があったので、入出国の自動化ゲートを登録した。まだ3回しか海外へ旅行をしたことはないが、颯爽と自動化ゲートをくぐりぬけ、旅慣れ感を出してみた。機内では『3月のライオン』を見た。すぐにお尻が痛くなり、何度も体勢を変えながら堪えた。5回くらい水が配られるけど、あんなに要らないといつも思う。

夜の23時にスワンナプーム空港に着いた。5千円分をタイバーツに両替した。交通機関が止まっていて、どうしようも無いので空港で寝た。

8月15日 アユタヤ

朝の5時、空港内の無料のシャトルバスのバス停に移動した。バスが来たと思ったら、近くにバンが停車していたからか、通り過ぎていってしまった。次のバスに乗ってセントラルバスターミナルに行った。バスターミナルから、551番の公営バスで戦勝記念塔に行き、ロット・トゥーでアユタヤに行こうと思ったが、その便は無いと言われたので、とりあえず555番のバスでランシットまで行くことにした。

ピンクのバッグが可愛い乗務員のおばさんに33B払った。ランシットに着き、北バスターミナルまで歩き、アユタヤ行きのミニバンに40B払って乗った。アユタヤの郊外に降ろされたので、まず、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンに歩いて行った。ちょうど日本人ツアー客が100人くらい来ていた。バックパッカーというものを見せつけてやった?

朱印船貿易で栄えた日本人町跡は遠いので行くのをやめた。ワット・パナン・チューンから対岸のポムペット城壁跡に行くのにボートに乗った。そういう商売かと思っていたのだが好意で乗せてくれたらしい。ありがとう。

ワット・マハタートに歩いて行ったが、入場料が50Bだったので、入るのをやめた。ここには木の根に取り込まれた有名な仏頭があるのだが、150円をケチった。次にクンペーン・レジデンスの側にあるエレファントキャンプで400B払って象に乗った。これこそケチるべきだった。揺れが強く乗り心地が悪かった。最後に象の鼻にチップを渡すように求められた。20B紙幣を持っておらず、仕方なく50B紙幣を渡した。さらに断腸の思いで180Bの写真を買った。

ワット・ローカヤースッターまで歩き、涅槃仏を見たのだが、背部が無く垂直だった。これはガイドブックから消すべきだ。

アユタヤ駅で、チェンマイ行きのチケットを買おうと思ったが、汗を流したかったので、”Bann Kunpra GH” に泊まることにした。一泊500Bと言うので、Sorry. と言うと、300Bにしてくれた。

荷物を置いてアユタヤ駅に行き、616Bで翌朝発のチケットを買った。ちょうどその日泊まるゲストハウスの対岸に “Pae Tevaraj Restaurant” があったので、ゲストハウスの写真を撮っておこうと思い入ったら、高級なレストランだった。ゲストハウスの料金と同じ300Bの夕食をとった。これは今日トゥクトゥクを使わなかった分で賄っているのだと、何度も自分に言い聞かせた。

8月16日 アユタヤ、チェンマイ

9時48分発の鉄道に乗るので9時半に駅に着いたが、結局出発したのは13時30分だった。列車にはTrain 7やSpecial Expressの表記がなかったので、合っているか駅員に確認した。お腹が空いたので出発前に昼食を取ったが、車内で昼食が出された。辛いのか腐っているのか分からないが、舌がピリピリした。2000円で昼食、おやつ、飲み物、夕食、軽食が出されるとは思ってもいなかった。エアコンが効きすぎて寒く、乗務員も肩が上がっていた。夜の23時にチェンマイ駅に着いた。セブンイレブンでカラムーチョを買って食べた。駅から3km歩き、ターペー都門で休憩した。さらに歩き、ワット・プラシンの写真を撮った。そこから堀をぐるっと歩き、ターペー都門に戻り、ここで野宿することにした。夜中の1時だというのに、外国人の親子がターペー都門前広場でフリスビーで遊び始めた。また、不良の子供たちが遊び始めたが警備員に追い出された。2時になると、警察が横の道路で検問を始めた。外国人が4人ほど捕まり取り調べを受けていた。

8月17日 チェンマイ

朝の6時、中国人が太極拳を踊り始めたので目を覚ました。30分鑑賞した後、チェンマイ門市場を見学しに行った。それから寺巡りをした。ワット・チェーディー・ルアンの写真がお気に入りだ。ターペー門近くにあるV.I.P.Houseに300Bで泊まった。まだ午前10時だったが、汗を流したいし、体力が回復していなかったので、夕方の6時まで寝た。それから、Changklank Roadのナイトバザールに行った。体調が良くなかったので、飲み食いはせずに、お土産を買った。宿に戻り、クリーム玄米ブランを食べて寝た。

8月18日 チェンマイ、チェンコン

朝の6時に起床した。体調が万全になった。チェンマイは涼しいので洗濯物が乾かなかった。バスターミナルに向かって歩いている途中で見つけた食堂で朝ごはんを食べた。町の食堂の飯は、そこら辺のレストランよりも安くて美味しい。朝の通勤通学ラッシュを見て、このバイクや車がJAPANだから、排気ガスによる大気汚染が抑えられているのかもしれないと思った。グリーンバスでチェンコン行きのチケットを259Bで買った。始発が9:30らしく、2時間暇になった。待合所の椅子で寝ていると、朝の8時に音楽が流れ出し、みんな起立した。僕も慌てて起立したが間に合わなかった。バスに10Cの座席が存在せず、9Cに座った。隣のおばさんが15Bのサンドイッチをくれた。ありがとう。バスターミナルに着き、そのままラオスに行こうと思ったが、パパイヤヴィレッジに寄ってみることにした。パパイヤヴィレッジには、6人の日本人がいた。ヒロミさんとお子さん2人、ヒロミさんの友達、バンコクに住んでいるという2人のおじちゃんという構成だった。夕飯を食べた後、ヒロミさんの娘さんと遊び、夜更けまでみんなで僕のこれからの旅のルートや現地のおすすめの食べ物などを話し合った。久しぶりにアットホームというものを味わった。

8月19日 チェンコン、パークベン

朝の6時に起き、シャワーを浴びた。シングル1泊180B、夕飯50B、ビール60Bの計290Bを支払った。ヒロミさんの友達のステーパ?さんのトゥクトゥクで第4友好橋まで150Bで行き、ラオスへ入った。バスチケット売り場で50$をキープに両替してもらった。橋を走るバスは25Bで、橋からフアイサーイのスローボート乗り場までは20000Kで行った。ルアンパバーンまでのスローボートを210000Kで買った。それから出発時刻の11:30まで近くの店で麺を食べた。韓国人が船乗りのおっちゃんに、お金は払うから今日中にルアンパバーンまで運んでくれないかと、せがんでいた。危険だと噂のスピードボードの乗り場に連れてゆかれた。スローボートに乗る100人のほとんどが欧米人だった。スローボートが日本人に不人気な理由がなんとなく分かった。もし次があるとしたらバスがいい。時折、ものすごい勢いでスピードボートがスローボートを越して行った。乗客はボートレースと同じようにフルフェイスヘルメットを着用していた。パークベンに着き、70000Kを払い、Salika Guesthouseに泊まった。服を全て洗濯し、全裸で寝た。

8月20日 パークベン、ルアンパバーン

朝の7時に起きた。昨夜、雨が降って湿度が高まり、気温が下がったせいか、洗濯した服が乾いていなかった。パークベンは外国人が多いからか物価が異常に高かった。バナナとパン2つを30000Kで買った。スローボートはもう嫌だった。変わらない景色にプライベートのない空間、とても不自由だった。欧米人の前でシャイな日本人というものを体現してしまった。スローボート乗り場は町から8kmほど遠いところにあったが、時間もあるし、ピックアップトラックにお金を払いたく無かったので、歩いて行くことにした。途中で、鈴木というところでタバコを作っていたという25歳の青年に呼び止められて、ビールを3杯ご馳走になった。「もう日本語忘れた」と言っていた。一生懸命いろんな日本語を捻り出してくれた。アサヒ美味しいとか、(アルコールで)頭、大丈夫とか、話してくれた。まさか、田舎道に日本語を話せるラオス人がいるとは思ってもいなかった。ヴィエンチャンに行くのをやめて、ベトナムに行ってしまおうと思い、日本語が使えるソークミーサイゲストハウスに泊まり、ハノイ行きのバスを予約してもらった。予想の倍の70ドルだった。予定通りヴィエンチャンに行って、ヴィエンチャンからハノイ行きのバスチケットを買ったほうが安くすんだと思ったが、とっくに仏像に飽きており、気持ちは既にハノイ湾に向いていたから、仕方ないという気持ちだった。

8月21日 ルアンパバーン

昨夜は10時に寝たので、5時には起きて托鉢をする僧を見られると思ったが、実際に起きたのは朝の8時だった。体は相当疲弊していたようだ。9時から寺巡りをしたが、つまらなかった。Phosy Market でバスの中で食べようと林檎と梨とぶどうを買った。13000Kだった。近くの店で麺を食べた。店内のテレビでカヌーが中継されていた。競馬などと違って、ある程度差がついてしまえば、もう追い抜くことができないのでつまらなかった。終始接戦の時だけ盛り上がっていた。キープを持っていても仕方がないので、屋台で外国人が買いがちなエキゾチックな柄のズボンとポシェットを買った。バスのピックアップが来る午後5時まで4時間も暇になった。時間の潰し方が分からないので、メコン川沿いの椅子で寝た。ラオスで思ったのだが、消費者が高い物価でものを買っているけれど、消費者もまた何かしらの生産者であり、高い物価でものを売っているから経済が回っているのだと思った。物価が高くて困るのは観光客だけなのだ。ゲストハウスに戻ってロビーでリリー・フランキーの『疲れた人』を読んだ。よく見かける本だが、買って読みたくはなかったので丁度良かった。どうやら8月20日と21日はボートレースで祝日らしい。バスターミナルで日本人のナツキさんに会った。僕と全く同じような行程を経てきていたが、次はハノイではなくビンに行くと言っていた。バスにハノイ行き350000Kと書かれていたのだが…

8月22日 ハノイ

寝ている間にラオスとベトナムの国境に着いた。ナツキさんにまた会った。出国審査を終え、入国審査をしに行こうとすると、乗ってきたバスがどこかに行ってしまった。僕は荷物が少ないので全て持ち歩いていたが、他の外国人は荷物をバスに預けていたので、とても焦っていた。2時間後にバスは戻ってきたが、一体何をしていたのだろう。ハノイに着くまですることもなく、もう眠ることもできないので、ずっと夕陽を眺めていた。この沈む夕陽は、どこかでは南中する太陽で、どこかでは登る朝日なんだと当たり前のことを考えた。バスターミナルからTomodachi Houseまで7kmほど歩いた。ベトナムは日本より高温多湿で、汗でビショビショになった。7$払ってドミトリーに泊まった。

8月23日 ハロン湾

朝の6時半にドミトリーを出て、The Sinh Touristまで歩いた。ベトナム縦断のオープンバスチケットを買った。それから、ハロン湾のツアーに当日だが飛び入り参加した。オフィスには日本人大学生2人がいて、さらに来たバスにも2人乗っていて、僕も合わせて5人の日本人大学生がツアーに参加することになった。思っていたよりもハノイからハロン湾まで遠く、お尻が痛かった。船内の食べ物はほぼ美味しく、他の卓は食べ残していたが、お腹を空かした大学生の僕らは完食した。曇っていたが、ハノン湾は見応えがあった。漕ぎ手にチップを払いたくなかったので、バンブーボートではなくカヤックに乗った。楽しかった。鍾乳洞は思っていたよりもつまらなかった。そのまま5人でビールストリートに飲みに行くことになった。仕事終わりのベトナム人と一緒に飲んだ。双方とも片言の英語で会話した。Hanoi 3B Hotelに8$で泊まった。

8月24日 ハノイ

ホテルの朝食をお腹いっぱい食べ、ホーチミン廟に行った。外国の軍隊のように警備員が規律通り歩いていた。ぶらぶら歩いて時間を潰したが、潰れないのでCom Phoというレストランでバスが来るまで時間を潰した。ココナッツはいい時間潰しになる。あとでObama’s Restaurantに行けば良かったと後悔した。まだ時間があるので、旧市街を歩き偽物のThe Sinh Touristの写真を集めた。さらにタイルアートも撮って時間を潰した。もうスリーピングバスに乗るのも慣れた。

8月25日 フエ

朝の7時にフエについた。すぐに王宮を歩きまわった。広いなあと思った。Sunny A Hotelのドミトリーに行くと、ラオスとベトナムの国境を越えるときに一緒だったナツキさんがいた。ビールを買って彼とレストランに行った。よく分からないけど美味しかった。それから、暇なのでホテルのモーターバイクを借りて海まで走った。砂浜がずっと続いているのに、人はほとんどいなかった。ダナンとの違いはどこにあるのだろう。ホテルに戻り、またビールを買ってBig Benというレストランに行った。接客の女性がみな笑顔で良い店だった。それから、ホーチミンへ行くナツキさんを見送り、ライトアップされた王宮を見に走って行った。サンダルで走ったので足から血が出た。

8月26日 ホイアン

朝の7時に、待っても止まない雨が降っていたのでレインコートを着て、The Sinh Touristのオフィスまで歩いた。バスは昼の1時にホイアンに着いた。ホイアンに500円以下の安宿は無く、23万ドン(約1100円)払って、Binh Minhというホテルに泊まった。毛布も敷き布団も洗濯されていなそうだった。掃除もなされておらず、床が汚く不愉快だった。夕方の7時まで寝て、雨が上がっていたので、遠来橋まで歩いた。この付近は車やバイクの乗り入れが禁止されており、さらにランタンが灯されるので、縁日のお祭りのようだった。郊外の食堂でフォーと春巻を食べた。美味しかった。

8月27日 フエ、ミーソン遺跡

朝の9時にホテルをチェックアウトし、The Sinh Touristの通りで4$でモーターバイクを借り、1時間かけミーソン遺跡へと行った。チケットは15万ドンだが、遺跡まで無料で車に乗っけてくれるのでありがたい。よく整備されていたが、整備するとつまらなくなるのかもしれない。自然に埋もれていたほうが、神秘的に見えると思った。モーターバイクを返し、ホイアンでは誰もが知るという人気のPho Lienにフォーを食べに行った。僕はフォー自体が好きではないようだった。それから、昨夜と同じように遠来橋の周辺を散策した。それから、テキトーなレストランに入り、ビールを3本飲んだ。1本1万ドン(約50円)なのでグイグイ飲んでしまった。少し酔ったまま街を歩き、屋台で色々と食べた。マンゴーケーキ(たぶんもっと安いが5000ドン)はむしろピーナッツ饅頭だったが美味しかった。豆腐ケーキ(たぶんもっと安いが10000ドン)は温かい食べ物で生姜のソースがかけられた。美味しくなかった。The Sinh Touristのオフィスに1時間も早く着いたが、着いた途端に、雨が降り始めたのでグッドタイミングだった。

8月28日 ニャチャン

早朝の4時にニャチャンに着いた。大仏と教会を見て歩いた。Dam Marketを一周した後、何度も椅子に座って休憩を入れつつ海沿いの道を歩いた。欧米人はビーチで何を楽しんでいるのだろうと思ったが、何もしないことを楽しんでいるのだと思った。日本人が旅館でだらだら過ごすのを楽しむのと同じかもしれない。早速暇になったので、午前8時から10時まで海沿いの休憩所で寝た。最高に気持ち良かった。それからBackpack Adobe Hostelに泊まり、夕方の5時までまた寝た。夕食を取ろうと、地球の歩き方に載っていたフーンビンというお店に行ってみたが無くなっていたので、XUAN NHIというお店でフォーを食べた。美味しかった。でも、もうフォーはいいやと思った。宿に戻り、さらに寝て一日が終わった。

8月29日 ニャチャン、ホーチミン

朝の6時に起きた。下の段のベッドで寝ていた中国人の女性がシーツとブランケットとタオルを綺麗に畳んでいて驚いた。日本人くらいだと思っていた。6時半だったので7時からの朝食は食べられないと思ったら、チェックアウトする時に、Do you have a breakfast? と聞かれた。Yes. と返した。5$しか払っていないのに、ありがたい。7時前にチェックアウトする他の客にも同じく聞いていたので、上半身裸のお兄さん、優しいなあと思った。午後6時にホーチミンに着いた。大量のバイクとその排気ガス、マッサージ店の嬢の激しい呼び込みに都市の熱気を感じた。Hotel MaiVyの別館に10$で泊まった。Swarmで現在地をツイートしたら、まさか同じホテルに知り合いが泊まっており、夕飯に誘われた。それから彼らのホテルで飲んだ。東南アジアでビジネスをしようという話で盛り上がった。

8月30日 ホーチミン(サイゴン)

午前中はサークルの演奏会の仕事をして、午後から出かけた。統一会堂に行く途中でスコールに当たったので近くの屋台で昼食を取り、雨が止むのを待った。統一会堂は地下が面白かった。次に戦争証跡博物館に行った。博物館の外は戦闘機と記念撮影する観光客がたくさんいた。1階には、ベトナム戦争中にアメリカを批判した日本のポスターや新聞の展示とお土産屋がいくつかあり、2階は枯葉剤(エージェント・オレンジ)による奇形の人々の写真の展示とツアー会社のオフィスがいくつかあり、3階はベトナム戦争の悲惨さを伝える写真の展示と舞台イベントのオフィス、そして、お土産屋があった。展示物を見ても悲しい気持ちにはならなかった。しかし、沢田教一が撮影した『安全への逃避』を見たときに唯一、心が締め付けられた。教科書で見た時は何も思わなかった。原寸大の写真ではないと伝わらないものだと思った。サイゴン大教会と中央郵便局に行った。Kumho Samco Buslinesのオフィスに行き、10$でカンボジアのプノンペン行きのチケットを買った。カプセルホテルというのが気になったのでGalaxy Hotel & Capsuleに8$で泊まった。普通のドミトリーだった。それから、余ったベトナムドンで嵩ばらなそうなお土産を買いに行った。

8月31日 ホーチミン、プノンペン

朝の6時に起きて支度し、ホテルを出た。6時半にバス会社のオフィスに着いた。パスポートを預けた乗務員のお兄さんが優しい人で、右往左往する僕を気遣ってくれた。国境は出国も入国審査もテキトーだった。昼の12時にプノンペンに着いた。Krorma Yamato Guest Houseに泊まった。ドミトリーには1人の日本人しかいなかった。自転車を借りて11km先のキリング・フィールドに行った。僕は、何かを思おう考えよう感じようということはしないけれど、塔の50m手前で整然と並ぶ頭蓋骨が見えたとき、ヒトは特別な存在では無いと思った。塔の中の頭蓋骨には小さな丸いシールが貼られていた。鈍器で撲殺された人や竹槍で頭を突かれ死んだ人、耳を切られた人、外国人など細かく色で区別されていた。テレビで観て、いつか行こうと思ったキリング・フィールドには、テレビで観た時以上の衝撃は無かったが、それでも行って良かったと思った。帰りにCapitol Toursでシェムリアップ行きのバスチケットを6$で買った。ドミトリーにいた日本人はサッカーの日本対オーストラリア戦を通信環境の悪い中、途切れ途切れで観ていた。

9月1日 プノンペン、シェムリアップ

午前9時に起きた。歩いて王宮に行った。入場料が10.25$に変わっていたので、財布の中の米ドルが無くなった。シルバーパゴダに納められた仏像は、これまで東南アジアで見てきた稚拙なものと違って芸術性の高いものだった。バス会社のオフィスまで歩く途中、いつものように何度も「ハロー!バイク?」「ハロー!トゥクトゥク?」と声をかけられた。10km以内なら、そんなものは使わずに歩くと決めているので無視していたが、今回ばかりは本当にお金が無くて断った。バスの中で『涙そうそう』を聞くベトナム人がいた。備え付けのテレビで、漫才のあと、ジャッキチェーンの映画が流れた。しかも舞台が日本だったのでカンボジア語だったが飽きずに見られた。Capitol Toursのバス停から3km先のKrorma Yamato Guest Houseまで歩いた。ドミトリーには大学生4人と我が道を行くおじさんがいた。(以下、我が道おじさん) 我が道おじさんに連れられて、夕食を食べに行った。我が道おじさんは、オーナーのおばちゃんと仲が良く、お通しのポップコーンを3度おかわりしたり、勝手にペットボトルの水を取ってきたり、ほぼ日本語で注文を押し切ったり、注文しすぎて厨房をパンクさせたり、我が道を行っていた。人の話は聞かないタイプだ。日本にいたら絶対に関わりたくない。

9月2日 シェムリアップ、アンコールワット

起きてから、シェムリアップでの旅の計画を立てた。『地球の歩き方』を眺めて行きたい遺跡を”map.me“に保存していった。11時に宿で自転車を借りて、我が道おじさんが「この店より安い店を知らない」と言っていた店”Happy Herb Pizza”に行った。1$のベジタブルヌードルだが、量も味も申し分なかった。さすがに1$だけでは気がひけるので、1$のドラゴンフルーツシェイクも頼んだ。牛乳にドラゴンフルーツの味が負けていた。トゥクトゥクに仕事を与えるために、アンコール・ワットとはあさっての方向にあるチケット売り場まで自転車を漕いだ。両替所で渡された古い50$札が使えないと言われたので、それしかお金を持っていないと30分間粘ったが、結局使えなかった。仕方ないのでクレジットカードで支払った。アンコール・ワットまで自転車を漕いだが、想像以上に遠かった。アンコール・ワットは期待を上回ることもなく下回ることもなく、雄大であった。アンコール・トムも見に行った。帰りに夕陽で照らされたアンコール・ワットを見ようと思ったが、曇ってしまった。宿に戻り、大学生5人で”Happy Herb Pizza”に行き、それぞれ1$の飯と店名のピザを食べた。それから、Night Marketに行った。服屋で値引き交渉をしたのが、この旅で一番面白かった。最終的に店員と仲良くなって記念撮影をした。

9月3日 シェムリアップ、プレアヴィヒア

プレア・ヴィヒア寺院に行くことになった。宿の掲示板に名前を書いて人数が集まったらツアーが催行されるのだが、この時期にしては奇跡的に11人集まった。バンは1時間ほど遅れてきた。運転手のお兄さんは時速100kmを超えるスピードでバンを走らせた。何だかガソリン臭いなあと思っていたら、出発してから2時間経って途中でバンが動かなくなった。ガソリンが漏れていた。1時間足止めを食わされた。もう行けないなあと思っていたが、お兄さんが草木を使って何かを修理すると何故か直った。近くにあったガソリンスタンドで給油して再出発し、ちゃっかり着いた。寺院がある山の麓の食堂で焼きそばか炒飯か選べと言われ、4$の高級な焼きそばを食べた。でも、高そうなツアーで来ていた日本人にはメニューが渡された。寺院までの急な坂道はTOYOTAのピックアップトラックで登った。ジェットコースターで頂上まで運ばれている時と同じ感覚だった。それから遺跡の中の長い長い通路を歩いた。プレア・ヴィヒア寺院はアンコール・ワットのように簡単に行くことが出来ないから、来れた嬉しさがあった。もちろん例に漏れず崖で写真を撮った。次にベン・メリアに行った。運転手のお兄さんは道中で普通に缶ビールを買って飲んでいた。ベン・メリアの崩壊した寺院と自然の組み合わせに冒険心をくすぐられた。バンまでの道をずっと乞食の少年が付いて来た。念仏のように”Give me one dollar.”と唱えていた。1$札を掲げて走ってみようかと思った。女性の方がひとり戻って来なかったので探しに行った。左右対称に作られているので、入り口を間違えたようだった。宿に帰る途中で牛が飛び出してきたので急ブレーキがかかった。バンが少し牛に当たり、牛は横によろめいた。夕方の6時に帰宿した。流石に疲れたので、食べに行くのはやめて、宿のレストランでJapanese Curryを食べた。

9月4日 シェムリアップ、バンテアイ・スレイ

“Happy Herb Pizza”で”Yellow Noodle”とビールを飲み、”高知家”のドミトリーに移った。我が道おじさんから離れようとしたのに、我が道おじさんも付いてきた。同じ話を何度も聞かされてウンザリだった。同じ話を何度もする人の心理をネットで調べたら、老化現象か、話を聞いてもらえた実感がないか、ネタ切れか、その話をするのが好きだから、などなど見つけた。15時に宿でママチャリを借りて、バンテアイ・スレイを目指した。5kmも走らないうちにひどく後悔した。ケチらずに10$払ってモーターバイクを借りれば良かったと思った。炎天下の中、心を無にして汗だくになりながら自転車を漕いだ。道中、現地の人が珍しいものを見ているかのような目で僕を見ていた。子供たちは僕に”Hello.”と言ったり、手を振ったり楽しんでいた。出発から2時間後、ようやくバンテアイ・スレイに着いた。小さな寺院だったが細かな装飾まで残っていて綺麗だった。また、2時間かけて宿まで帰るのかと思って絶望した。帰る途中、空腹に耐え切れず、地雷博物館の隣の食堂に寄った。おばあちゃんにYellow Noodleを頼んだら、それだけじゃなくて、その日の家族の夕飯を少しずつ分けてくれて、言葉が全く伝わらないけどめっちゃ感謝した。多過ぎて吐きそうだったけど全部食べた。「(30km先の)シェムリアップ(に行くの?)」と聞かれて「イエス。」と答えたら、とても心配そうな顔をしていた。宿まで自転車を漕いだ。昼間は暑くて寝ている犬だが、夜になると元気になるので、何度も犬に追いかけられた。ママチャリの全速力よりも犬の方が圧倒的に速いので持久戦だった。彼らはいきなり草むらから飛び出してくるので怖かった。暗闇で視覚情報が少なくなったせいか、犬に追いかけられたせいか、帰りは時の流れが早かった。宿に着いてすぐにシャワーを浴びた。

9月5日 シェムリアップ、バコン

ゆっくり起きてMom new river restaurantに行った。男性スタッフが女性スタッフに馴れ馴れしく接するが拒絶されていた。体力的には大丈夫だが精神的に辛かったので自転車ではなくモーターバイクをレンタルして、バコンに行った。近くで見てもつまらないことは分かっているので、遠くから写真だけ撮った。次にプレア・カーン、Neak Pean、イーストメボン、Pre Rupに行き、同じように写真を撮った。モーターバイクを借りた所に返し、いつものように”Happy Herb Pizza”に行って、夕食を済ませた。宿に戻ると、wifiを使うためにロビーにいる女子大生3人と我が道おじさんが話をしていた。戻って来た僕に「お前もプレア・ヴィヒア行ったよな?」と聞いた僅か1秒の間に彼女らは自室に戻った。女子だから出来るなあと思った。

9月6日 シェムリアップ、タ・プローム

“我が道おじさん”には”IKI IKI Guesthouse”に行くと嘘をついて”Krorma Yamato Guest House”に戻った。自転車を借りて、Kravan Temple、Bat Chum、バンテアイ・クデイ、そして、タ・プロームに行った。タ・プロームは好きになれなかった。観光客の安全を確保するためか、寺院の崩落を防止するためかは分からないが、所々で木を切ったり、逆に木を支えたりしていて、ひどく残念だった。出来る限り人為の跡が見えないように配慮してほしい。自転車で帰っていると、トゥクトゥクに乗っている男子大学生3人組の1人が僕を見て「え?チャリ?」と笑った。僕は、世界中の誰よりもトゥクトゥクの運転手が嫌いだ。金を払ってまでトゥクトゥクに乗る選択肢など存在しない。”Happy Herb Pizza”でいつも1$の料理を食べていたが、今日は2$の”Rice Noodle with chicken”を食べ、それから0.5$のビールを4杯飲んだ。会計の時に5$札を出したら2$返ってきたので、1$返した。いつも1$の料理しか頼まないから勘違いされた。宿に戻ると、”Ta Som Guesthouse”に行くと言っていた我が道おじさんがいた。こいつとはこういう運命なのかと思った。その日もまた、男子大学生2人を連れて飲みに行った。

9月7日 シェムリアップ、アンコール・ワット

朝の4時半にアラームをかけていたが、隣のベッドで眠る人の時計のアラームが大音量で鳴り続けるので、4時に起きた。起きてすぐにリュックサックを背負って外の物干し場まで行き、乾いた服に着替えた。そのまま寝間着をリュックサックに入れ、自転車でアンコール・ワットに向かった。5時に西参道入口のゲートが開かれた。誰もがアンコール・ワットの正面に向かって左側の池の前に陣取っていた。そこから、よく見かける構図の写真が撮れるらしかった。明日も早く来て、良い場所を陣取ろうと決めた。宿に戻り、ひたすらダラダラした。お昼に我が道おじさんに昼食に誘われたが断った。アプサラダンスが行われるKoulen II Restaurantには宿のスタッフのバイクの後ろに乗って行った。舞台からかなり遠い席にされたが、メーンのダンスショーが始まる前に、前列の一団が帰ったので、席をそこに移すことができた。ダンスはどれだけ人間離れできるかが重要だと思う。彼女らの踊りはまだ芸術の域には達していないと思った。ビュッフェの料理は美味しくなかったが、食べられないものでもなかったので、吐く寸前まで食べた。

9月8日 シェムリアップ、バンコク

朝の4時半に起きて、ドミトリーで僕のベッドの上にいたSさんと、自転車でアンコール・ワットを観に行った。auスター会員なら月に一度無料で使える世界データ定額を使って、アンコール・ワットにswarmでチェックインした。これまでオフラインで3回チェックインしていたので、めでたくメイヤーの座に就いた。このためだけに早起きした。バンコク行きのバスに乗る前にシャワーを浴びたかったので、全速力で自転車を漕ぎ宿に戻った。帰宿し、シャワーを浴び、身支度し、宿から出ると、ちょうどトゥクトゥクが来た。バスは半分も客が乗っていなかった。隣の空いている座席を使って気持ちよく寝た。カンボジアの出国はもちろんすぐに終わったが、タイの入国は1時間半もかかった。お昼頃に行ったので、入国審査官が昼休憩を回していた。「日本なら外務省に苦情が入る」と、ここでも遭遇した我が道おじさんの声が聞こえた。バンコク行きはバンに移った。日本人親子3人も乗った。もう少しお金を出して、快適な移動方法を選べば良いのにと思ったら、お父様が昔バックパッカーだったらしい。道中2回セブンイレブンに寄った。菓子パンと惣菜パンとヨーグルトジュースを買っても50Bなので、とても幸せを感じた。バンはカオサン通りの手前に着いた。”The Mixx Hostel”に行った。180Bを払い、ドミトリーに入ると、日本人が集められており、新潟の大学に通っているという3人組の男子と大阪の大学に通っているという2人組の男子がいた。3人組は、初めての海外旅行だという2人組にカオサンのオススメを聞かれて、バルーンを吸うと良いよと言った。人種の違いをわきまえない辺りがヒッピーの嫌なところだと思った。ベッドで明日はレールウェイマーケットに行こうと計画していると、テントウムシほどの大きさのダニを3匹も見つけ、殺した。3人組も全員ダニにやられたと言っていた。

9月9日 バンコク、レールウェイマーケット

朝の9時に起きた。ダニに血を吸われていることを覚悟して寝たが、体はどこも腫れていなかった。宿を出て、Wongwian Yai 駅まで歩いた。駅に10時40分に着くと、列車は出発直前だった。国鉄なのでチケットは10Bととても安かった。Maha chai 駅で降り、渡し船に乗った。少し歩いて、Banlaem 駅に昼の12時に着いた。次の列車が来る13時30分まで暇になったが、アイスを食べる子供たちを見ていたら列車が来た。この旅で最ものどかな時間だった。Maeklong 駅に近付くと遂に列車がレールウェイマーケットを通った。列車を撮る外国人観光客を撮った。観光客の95%が中国人か韓国人だった。近くにある唯一のホステスに行ったが、部屋が埋まっており、やっぱりカオサン通りに帰ることにした。レールウェイマーケットはすぐに引っ込むことができるように、店の中に小さな線路が作られていた。列車がレールウェイマーケットを通る様子を外から撮影したいが、帰りが遅くなるのも嫌なのですぐ次の列車に乗った。列車の先頭からレールウェイマーケットの写真を撮った。途中で運転士が列車を止めてジュースを買っていた。Wongwian Yai 駅から”Bella Bella House”まで川沿いを歩いた。塀から突き出たワット・ポーや王宮の頭だけ見ることができた。まだ元国王の喪が明けていないのか、王宮の近くには喪服を着た人が大勢いた。宿に着いた。シングルのファンの部屋は1泊200Bと地球の歩き方に書いていたが、150Bに値下げされていた。

9月10日 バンコク、ニューハーフショー

朝の9時に暑さで目を覚ました。日が昇るとエアコンなしでは辛い。1階のロビーに降り、wifiを使い、カリプソのニューハーフショー(ティファニーショー)の予約をした。そのバウチャー(領収書)を受付で印刷してもらった。無料かと思ったら10B取られた。それから、Pom Pra Sumen に行き、お昼まで時間を潰した。宿に戻り、全裸で扇風機を回して寝た。雷で何度か起こされた。もし出掛けていたら雨に打たれていたので出掛けなくて良かった。起きてからは撮った写真の整理をした。Phra Arthit 駅 からOrange Express Line のボートに乗って、カリプソの劇場があるAsiatique The Riverfront というモールに一番近い Wat Rajsingkorn 駅 まで行った。スピードが出ており、乗組員の動作も軽快で、乗っていて楽しかった。モールで夕食を済ませてショーを観ようと思ったが、どの店も物価が高かったので、すき家で99Bのお好み焼き牛丼を食べた。劇場に入り、席に着いたが、前の人が邪魔で舞台が見にかった。ショーはとてもインターナショナルで、新宿2丁目のニューハーフショーを観に行きたくなった。帰り際、チップをばら撒いて、廊下に並ぶお姉さん方と写真を撮った。No charge for photo の看板はあるが、実質的にはチップが必須だった。それでも、お姉さん方は一歩も動いてはいけないと言われているのか、強引さは無かった。モールから無料で出ているボートでSathorn Pier駅まで行き、そこからは走りと歩きで帰った。

9月11日 バンコク、チャイナタウン

朝の10時にBella Bella Houseをチェックアウトして、チャイナタウンへ向かった。昨日と同じく、Phra Arthit 駅からボートに乗った。ツアーリスト専用のボートもあるが、そのチケットを購入する人は皆無だった。受付の人は外国人にツアーリスト専用じゃない方と毎回の如く言われ、ふて腐れていた。Rachawongse 駅で降りて、チャイナタウンに向かって歩いた。かつて、90年代の日本人バックパッカーにとって、ドラッグと売春の聖地だったらしい。雑多な道を歩き、Asa Hostel に向かった。ドミトリーは1泊300Bだった。『地球の歩き方』に載っていないが、ぜひ載せてあげてほしい。これまで泊まった宿の中で最も居心地が良かった。宿のwifiを使って、「チャイナタウン バンコク ランチ」で調べると、2012年のバンコクナビの記事にバミー・ジャップガンというお店が紹介されていたので行ってみた。普通のバミーが40Bで焼売入りのバミーが50Bだった。以前より10Bだけ値上げしたようだった。焼売入りのバミーを食べた。量が多いと書いていたので、腹を満たせるぞと思っていたら、予想以上に多く、最後の方は辛かった。スープは美味しかったが、麺が少し粉っぽくて好きにはなれなかった。宿に戻りダラダラした後、July 22nd Circle の付近を隈なく探検した。台北大旅社からも既に当時の雰囲気は感じられなかった。夜に行けば違ったのかもしれない。多くの人々を退廃させてきたこの場所もさびれたようだった。

9月12日 バンコク

朝の10時にチェックアウトした時、従業員の女性と10分ほど会話した。僕が21歳だと言うと”Really?”と言いながら笑っていた。最終的にInstagramのフレンドになった。歩いてカオサン通りまで行った。昨日ネットで、”Long Luck Guest House”という日本人宿を見つけたので、前を素通りしてみた。ギターを弾いている青年を見つけて入るのをやめた。明後日の夜の1時の便で日本に帰るので、Makkasan 駅まで2時間ほど歩いて空港に直結で行けるようにした。途中でタイのShibuyaを見つけた。Makkasan駅の近くのX9Hostelというところに泊まることにした。ヨーロピアンな通りの中にあるオシャレな建物だったので、本当にホステルなのか、ホステルであったとしても予約必須なのではと、心配になり、入るのに躊躇した。入ってみると、ドミトリーは1泊315Bで、安心した。お土産を買うために、MaxValuに行ったが、コンビニと値段が変わらなかったので、ショッピングモールの中にあったTopsというスーパーマーケットに行った。タイのカップラーメンをたくさん買った。宿に戻ると、フィリピン人の青年がドーン・ムアン空港への行き方が分からないと言うので一緒に調べたが、結局タクシーになった。宿のwifiの通信速度が今までで最速だったので、多分もう日本に帰ったらやらないであろうInstagramに、撮った写真をたくさんアップした。

9月13日,14日 バンコク、日本

朝の10時に起きて、朝食を食べ、11時にチェックアウトした。Makkasan駅からスワンナプーム駅に行き、お昼の12時にスワンナプーム空港に着いた。24時30分発なので、半日を空港で過ごすことになるのだが、バンコクでしたいことが特に無いので、記憶をひねり出しながら今回の旅行記を書きまとめた。昼食はファミマのお弁当を食べ、夕食はセブンイレブンのお弁当を食べた。そして、帰国した。成田空港の税関で持っていた段ボールの中身を聞かれたので、すべてカップラーメンだと言うと、係員が中身を確認し笑った。

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